『 ReMind 』

○マンションの一室 朝

綺麗に片付いている1LDKのマンション。秋川俊也(三二)が、仕事に行く為の身支度をしている。シャツとセーターにチノパン。小さな棚に置いてある腕時計を付ける。
腕時計の隣にあった携帯電話を取り、ポケットに入れる秋川。
PCデスクから書類やICレコーダーをブリーフケースにしまっていく。時計をチラッと見る。
部屋を出ていく秋川。

○マンションの前

マンションから出てくる秋川。歩道を歩いていく。

○歩道橋

国道に架かる歩道橋を歩いていく秋川。

○甲陽病院・外観

大きな建物の総合病院。

○ナースステーション

『心療内科』と書かれている。『受付』のカウンターの向こう側に、看護婦の里見(四一)が立っている。
秋川が廊下を歩いてくる。

里見「あら、秋川さん。おはようございます」
秋川「おはようございます」

○カウンセリングルーム

小さな部屋に入ってくる秋川。デスクと本棚、大きなソファが置かれている。
デスクにバッグを置く秋川。
部屋は、暖色系の壁紙に、クリーム色のカーテン。ソファの横には花瓶が置いてある。窓の側には植木鉢も。

○車の中

車を運転している水野香穂(三〇)。信号で停まっている。窓の外をじっと見つめている香穂。
香穂が見ているのは、交差点の近くにある小さな居酒屋。看板には『後ろ亭』という屋号が書いてある。
クラクションが鳴る。信号が青に変わっている。アクセルを踏む香穂。

○『後ろ亭』の前 夜

暖簾をくぐり、引き戸を開ける宍戸勇雄(五六)。香穂と、強面な雰囲気の島村(三九)、もう1人の同僚が一緒に居る。

女将の声「あら、いらっしゃいませ」
宍戸「(店の中に)今日はちょっと多いんだ。
 4人。大丈夫?」

○店の中

小さなテーブルに4人で座る宍戸や香穂たち。女将が生ビールのジョッキを4杯持ってくる。

女将「はーい、お待たせしました…」
島村「いただきます」
宍戸「うぃ」
香穂「お疲れさまです」

乾杯する4人。

○病院のエントランス

病院に入ってくる香穂。慣れた様子で、廊下を進んでいく。

○玄関先 夜

一軒家の玄関先。香穂が、部屋着らしいスウェットを着た外国人の女を連れて玄関から出てくる。
家の前には、パトカーと、刑事たちが使う捜査車両が停まっている。
パトカーではない方の車の後部座席に女を乗せ、ドアを締める香穂。
玄関から宍戸と島村が出てくる。携帯電話で話している島村。

島村「…もしもし、島村です。ハイ、被疑者
 は参考人として任意同行。それで、同居し
 ていたとみられる女性も参考人として連れ
 ていきます。女性は外国人なんですが、会
 話は問題ないと思われるので。ハイ、内縁
 の妻ということで、とりあえずは…」

その後ろから、制服警官と一緒に男が現れる。いかにもガラの悪そうな人相の男。
男がパトカーに乗せられようとする時、通りかかった大型車のヘッドライトが一面をパッと照らす。
ライトの眩しさに、光を遮るように手で目を覆う警官。その一瞬の隙を突いて、男が、制服警官に襲いかかる。身体をぶつけ、組んだ両手を警官の顔に叩きつける。
警官の体が崩れる。
その警官の腰から拳銃を抜き取る男。
捜査車両に向かって拳銃を構える男。引き金を引く。銃口が火を噴く。
咄嗟にしゃがみ込んだ香穂の前に、庇うように身を投げ出してきた宍戸の身体が。
銃弾を胸で受けてしまう宍戸。
男に飛び掛って押さえ込む島村。拳銃も取り上げる。

香穂「宍戸さん!」

○カウンセリング室

ドアから秋川が入ってくる。

秋川「お待たせしました…」

ソファに座っている香穂。

秋川「コーヒーでいいんですよね?」
香穂「(頷いて)ありがとうございます」

コーヒーをカップに淹れる秋川。

秋川「どうぞ、上着も脱いで…。せっかくな
 んで、リラックスして下さい。ここはそう
 いう所ですから…」
香穂「(苦笑いで)そうでしたね…。また言
 われちゃった…」

ジャケットを脱ぐ香穂。
肩から胸の部分に皮製のベルトを身に付けている。拳銃のショルダーホルスター。
拳銃が入っているホルスターも外す香穂。それを見ても驚く様子もなく、コーヒーカップをソファの前の小さなテーブルに置く秋川。
花瓶には朝買った花が挿してある。
カップの横に、ミルクを2つ置く秋川。

香穂「(笑って)ありがとうございます」

微笑む秋川。 デスクの前のチェアに座る秋川。香穂も、ソファに座る。

秋川「どうですか? 先週は、最後に、自分
 で色々心の中を整理してみるって言ってま
 したよね」

頷く香穂。
秋川「…」

香穂の顔をじっと見つめる秋川。

秋川「別に先週の続きからじゃなくてもいい
 ですよ」
香穂「…先生は、整理って言葉はあまり良く
 ないっておっしゃってましたよね?」
秋川「うん。まぁ、あんまり、ね。なんかち
 ょっと、ネガティブな響きがあるような気
 がして。いや、僕の意見ですよ、それは」
香穂「えぇ」
秋川「うん」
香穂「…その、前向きになれってことですよ
 ね? ネガティブな響きがあるから良くな
 いってことは…」
秋川「(首を捻って)うーん。いやまぁ、う
 ん、そうかもね」
香穂「前向きっていうのが…」
秋川「いや、別に、それは単なる言葉の問題
 なんですよ。。そんな前向き前向きって言
 って、無理やり笑顔を作って生活したって、
 それは凄いシンドいことだからね」

頷く香穂。

秋川「僕が言ってるのは、そういうことじゃ
 なくってね。うん。…その、例えばあなた
 は、今こうやって、僕のところに来てるで
 しょ。毎週毎週。これだって、凄い大切な
 ことで、僕は前向きな行為だと思うのね。
 僕の言ってる『前向き』っていうのはそう
 いうこと。あなたは前向きの行為をしてる
 と思う。自分を大切にしているってことだ
 し、それはとても大事なことだから。あな たにとっては」
香穂「…そうですか?」
秋川「違うの? あなたにとっては」

考え込んでしまう香穂。

○廊下

カルテを抱えた里見が廊下を歩いている。香穂が、廊下を歩いてくる。

里見「あら、水野さん。こんにちわ」

笑顔で会釈する香穂。

里見「最近は調子はどうですか?」
香穂「えぇ、なんとか」
里見「(ニッコリ笑って)そう。良かった。
 じゃ、お大事に」
香穂「はい」

○エントランス

玄関から、外に出て行く香穂。

○給湯室

コーヒー用のポットにお湯を入れている秋川。里見が給湯室に入ってくる。

里見「あら。…いま水野さんとすれ違ったわ」
秋川「(頷いて)あー…」
里見「随分よくなってるって感じ。そうでし
 ょ?」
秋川「(頷いて)そうですね。経過としては、
 順調だと思います」
里見「やっぱり」
秋川「薬の処方がいいんだと思いますよ」
里見「秋川さんのカウンセリングが効いてる
 んだって。水野さんにとっては」
秋川「そうですか?」
里見「そうよぉ」
秋川「…やめて下さいよ」
里見「なんでよ? 普通に褒めてるだけよ?
 ま、でも、今が大事な時期よね」

頷く秋川。表情が締まる。

秋川「仕事で変な負担が掛かんなければいい
 んですけど」
里見「そうねー。それはねー」

ため息をつく里見。

里見「しょうがないわよねー。休むのが一番
 なんだろうけど」
秋川「えぇ」

○署の駐車場

パトカーが並んでいる駐車場。停めた車から降りてくる香穂。

○カウンセリングルーム 夜

ハッと気付く秋川。チェアに座っている。
窓の外は、すっかり暗くなっている。
左手の指で目元をグッと押さえる。フーッと息を吐いてから、ブリーフケースを取り上げ、物をしまい始める。

○廊下

非常灯だけの薄暗い廊下。バッグを提げた秋川が、部屋から出てくる。
プレートを動かして『不在』にする秋川。

○ナースステーションの前

夜勤の看護師たちに会釈しながら、廊下を歩いていく秋川。(F/O)

○(F/I)マンションの一室 朝

秋川が、仕事に行く為の身支度をしている。腕時計も携帯も前日とまったく同じ場所に置いてある。
ブリーフケースを持ち、時計を見る。
部屋を出ていく秋川。

○歩道橋

国道に架かる歩道橋を歩いていく秋川。

○工場の外

町工場から出てくる島村と香穂。停めてあった車に戻る2人。
助手席のドアに手を掛ける直前、ふと、振り返って周囲を見回してしまう香穂。車の反対側で、その様子を見ている島村。

○車の中

シートベルトを締める2人。

島村「…まだ気になるか?」
香穂「はい?」
島村「宍戸さんの時のこと。…車に乗るとき、
 気になって周りを見ただろ? 違うか?」
香穂「…いいえ」
島村「…気持ちは分かるが、アレは、お前の
 せいじゃないんだ。いつまでも引きずるん じゃない」
香穂「…」
島村「何度も言ってるけど、宍戸さんは、お
 前に期待してたんだぞ。俺だって気持ちの
 整理なんかついてねぇけど、それでも仕事
 はやってくつもりだ。それが供養にもなる
 って思ってるしな」
香穂「はい…、スイマセン」
島村「別に謝んなくてもいいけどな…。カウ
 ンセリングっつーのには通ってんのか?」
香穂「はい」
島村「そうか。まだ時間掛かりそうなのか?」
香穂「…はい。スイマセン…」
島村「いいよ。まぁ、頑張れ」
香穂「はい」

アクセルを踏む島村。

○ナースステーション

大判の封筒を小脇に抱えた秋川がやってきて、里見に声をかける。

里見「あら。今日は休みじゃなかったっけ?」
秋川「明日ですよ、休みは。ちょっと郵便局
 に行ってきますんで。すぐ帰ってきます」
里見「はーい」

○病院の通用門

小さな門から、歩道に出てくる秋川。

○小出町郵便局の前

小さな郵便局。ガラス越しに中の様子が見える。窓口で、封筒を手渡している秋川の姿。 郵便局から出てくる秋川。

○歩道

コンビニの前を通る秋川。腕時計を見る。
コンビニから、警備員の格好をした男が出てくる。男の名前は山本弘造(五四)。
歩いてくる秋川の顔に気付いて、目を見開く山本。秋川は普通に歩いてくる。
秋川の顔をマジマジと見る山本。
チラッと、山本の顔を見る秋川。一瞬だけ目が合う。そのまま歩いていく秋川。
山本は、秋川の後ろ姿を眼で追っている。
コンビニから出てきた客が、入り口の所に突っ立っている山本のことを迷惑そうな顔で一瞥する。
まだ秋川の後ろ姿を見ている山本。

○甲陽病院・通用門

病院の中に入っていく秋川。(F/O)

○(F/I)秋川のマンション

ジーンズを履いた、ラフな格好の秋川。前日とまったく同じ場所に置いてある時計と携帯電話に手を伸ばす。
手ぶらのままで部屋を出ていく秋川。

○小出郵便局の前

郵便局の前に立っている秋川。目つきが鋭い。グルッと周囲を見回す。

○路地・工事現場の前 夕方

ハッとする秋川。電柱の陰に立っている。
フラフラと路地を歩き始める秋川。
コンビニの袋を提げた、警備員の制服を着た山本が路地を歩いてくる。
工事現場に入りかけるところで、秋川の姿に気づく山本。足を止める。
周囲を見回しながら路地を歩いていく秋川。角を曲がっていく。
秋川が消えた方へ歩き出す山本。
同じ制服を着た同僚が、山本の姿を怪訝そうな顔で見ている。

○小出町郵便局の前

郵便局の前を歩いていく秋川。

○秋川のマンション 朝

通勤の仕度をしている秋川。時計を置いてある棚に手を伸ばす。ふと手を止める。
いつもの所に時計がない。携帯も充電スタンドのところにない。
違うところにあった時計を手に取る秋川。
携帯も違うところにある。その携帯をポケットに入れる秋川。
ブリーフケースを持って、部屋を出て行く。

○カウンセリングルーム

花瓶の花を取り替えている秋川。
 × × ×
ソファには、ワンピースを着た女性が座っている。
デスクの前に座って、女性の顔を見ている秋川。

秋川「…じゃあ最初に、幾つか質問をさせて
 下さい。あんまり難しく考えなくていいで
 すからね」

頷く女性。

秋川「あ、あと、一応確認なんですけど、こ
 れで録音しても構いませんか?」

ICレコーダーを女性に見せる秋川。

秋川「もちろん他の人には聴かせません。僕
 が、あなたとの会話をあとで振り返るため
 に使うためなんです。構いません?」
女性「(頷いて)はい」
秋川「(頷いて)じゃあ、始めます…」

○給湯室

ポットにお湯を足している秋川。

○カウンセリングルーム

シャツを脱いで、オーバーサイズのスウェットパーカーに着替えている秋川。スニーカーを出して、靴も履き替える。
 × × ×
中学生ぐらいの男の子がソファに座っている。頷きながら話を聴いている秋川。

秋川「(頷いて)…そうか。…それで、お母
 さんはいつぐらいから、君にそういう事を
 言うようになったの?」
男の子「…」
秋川「…うん、いいよ。ゆっくり話してくれ
 ればいいから。ちょっと考えて、思い出し
 てみてよ…」

目の前の、コーラが入ったグラスに手を伸ばす男の子。

秋川「…」

一口だけコーラを飲む男の子。 待つ秋川。足を組んでいる秋川のスニーカーをチラッと見る男の子。

秋川「このスニーカー、いいでしょ。この間
 買ったばっかなんだよ」
男の子「…どこでですか?」
秋川「ん?」
男の子「お店は…。この辺で買えるトコある
 んですか?」
秋川「ううん。ネットでね」

納得したという顔で頷く男の子。

秋川「好きなスニーカーを探して買ったりす
 るの?」
男の子「(首を振って)いいえ。欲しいのは、
 やっぱ、高いんで…」
秋川「お小遣い貯めてとかさ」
男の子「…そういうのに使ったら、なんか、
 怒られそうなんで」
秋川「ふーん。…それは、お母さんに?」

頷く男の子。

秋川「例えば、どんな風に?」
男の子「うーんと…」

○廊下

カウンセリングルームから、秋川と男の子が一緒に出てくる。
並んで廊下を歩いていく2人。

秋川「スニーカーぐらいなら別にいいんじゃ
 ないの?」
男の子「うーん」
秋川「こんど一緒に買いに行こうか、お店に。
 お母さんに聞いてみなよ。お小遣いは持っ
 てるんだろ? スニーカー買うぐらいは」

頷く男の子。口元が少しだけほころぶ。

秋川「(肩をポンと叩いて)じゃあ、行こう」

○エレベーターの前

エレベーターに乗る男の子。見送る秋川。

秋川「じゃ、来週」

頷く男の子。ドアが閉まる。
廊下を戻っていく秋川。

○カウンセリングルーム 夕方

デスクの電話が鳴る。受話器を取る秋川。

秋川「ハイもしもし、秋川です。…あぁ、水
 野さん。はい、どうしました? えぇ、今
 日ですよね? 7時から…。(腕時計を見
 て)あぁ、もうすぐだ」

壁掛け時計は6時半を過ぎている。

○車の中・助手席

助手席に座っている香穂が、携帯電話で話している。運転席には島村。

香穂「…すいません、今夜ちょっと、仕事が
 終わらなくって、行けそうにないんです…」

車は、住宅街の一角に停まっている。目の前にはパトカーが1台停まっているのが見える。

○カウンセリングルーム

秋川「あー、そうですか…。いや、あの、今
 日遅い時間でもいいですよ。何時ぐらいま
 でなんです?」

○車の中

香穂「(申し訳なさそうに)…いや、今から
 だと…」

隣の島村をチラッと見る香穂。

島村「(小声で)2、3時間だな…」
香穂「9時ぐらいまで掛かっちゃいます。そ
 れでも、またそちらまで行くともっと遅く
 なるので…。あの、いや、いま外に居るん
 ですよ。署にいるんじゃないので…」

○カウンセリングルーム

秋川「あー、なるほど。そうですか…」

ちょっと考える秋川。

○繁華街の一角・バス停 夜

バスから降りてくる秋川。歩道に立って、左右を見回す。

○同・歩道

秋川が、人を待っている。
香穂がやってくる。おち合う2人。

香穂「すいません。こんなところまで…」
秋川「いえいえ。…でも、ホントなら、こん
 なことしちゃいけないんですけどね」
香穂「え?」
秋川「(笑いながら)公私混同みたいに思わ
 れちゃいけませんから」
香穂「あー」
秋川「まぁでも、許して下さい」
香穂「そんな。こちらこそ、わざわざ都合つ
 けてもらって」
秋川「それで、静かなところがいいですね、
 やっぱり」

頷く香穂。

○喫茶店の店内

背の高いパーティションでテーブルごとに区切られている店内。隅の席に座っている秋川と香穂。
ビールの写真がついたメニューがテーブルの目に付く所に置いてある。

秋川「…ビール、どうぞ」
香穂「いいんですか?」
秋川「まぁ、ちょっとぐらいなら。嫌なら別
 にいいですし」
香穂「じゃあ、せっかくなんで」

笑って頷く秋川。
 × × ×
グラスに入ったビールを飲んでいる2人。

香穂「…カウンセリングですもんね。今日は。
 …ビール美味しいなんて言ってちゃダメで
 すよね」
秋川「(笑いながら)いいんじゃないんです
 か? あんまり堅苦しく考えないで。…お
 酒は好きなんですか?」
香穂「(苦笑いで)まぁ、普通だと思います。
 こんな仕事ですので、飲む機会は多いとは
 思いますけど」
秋川「あぁ、やっぱり。体育会系じゃないで
 すけど…」
香穂「そうですそうです。縦社会ですしね」

頷く秋川。

香穂「…」
秋川「…」

グラスを口に運ぶ香穂。

秋川「宍戸さんとも、一緒に飲む機会は多か
 ったんですか?」

頷く香穂。

秋川「…宍戸さんという方は、そういう、後
 輩や部下を連れてよく飲みに行かれる方だ
 ったんですか?」
香穂「(頷いて)…仕事を教わる場でもあっ
 たんです。…色々と、まぁ、怒られたりお
 説教されたり、褒められたり…」

頷く秋川。

香穂「もちろん、その…」

頷く秋川。

香穂「ご家族の話を聞かされたり、まぁ、そ
 ういう…」

頷く秋川。

香穂「…私、私の父も警官だったんです…」

香穂の顔をじっと見る秋川。

香穂「それで…、宍戸さんの、遺された家族
 と、自分というか…」
秋川「…」
香穂「自分を重ねてしまうんです…。だから
 余計辛くて…」

両目に涙をためる香穂。

香穂「たとえ警官でも、ご家族にとっては普
 通のお父さんじゃないですか?」
秋川「うん」
香穂「…家では、刑事じゃない生活があった
 と思うんです。私は、私の父がそうだった
 から、それが分かるんです…」

頷く秋川。

香穂「…刑事っていうのはそういう仕事なん
 だって、それは分かるんです。命を落とす
 こともあるんだっていうのは…」
秋川「理屈ではってことですね?」
香穂「(頷く)…頭では分かってるんです、
 私も。…でも、どんなに優秀な警察官でも、
 家では普通のお父さんなんです」
秋川「それが、水野さんには、実感として分
 かる」

頷く香穂。

香穂「…みんな、いつまでも引きずるなって
 言います。辛いのは分かるけど、そんなん
 じゃ宍戸さんも浮かばれないぞって…」

頷く秋川。

香穂「だけど、時間が経てば経つほど辛くな
 って…」

涙をこぼす香穂。

秋川「…」
香穂「…すいません…」
秋川「いいえ。いいんです。謝らなくても…」

涙を拭う香穂。

秋川「…水野さんの心の苦しみは、実は単な
 る喪失感や責任感や自分を責める気持ちよ
 りも、もうちょっと深い所にあるんです」
香穂「…」
秋川「いま水野さんは、そういうことを、初
 めて言葉にできたんじゃないかと思います。
 これはとても大事なことだと思います。今
 までは、心のどこかで思っていたけども、
 それを言葉にすることはできなかった。言
 葉にするということは、誰か相手に話すと
 いうだけでなく、自分自身で認識すること
 でもあるんです」
香穂「…」
秋川「…忘れる必要はないと思います。ただ
 し、いつまでも苦しむことが宍戸さんの本
 意ではないだろうということも、間違いな
 いことだとも思います」
香穂「(泣きながら、頷いて)…分かってま
 す」
秋川「ちょっと言葉は悪いですが、折り合い
 をつけるということですね」
香穂「はい…」
秋川「…私は、水野さんならできると思いま
 す。そして、大事なことは、実は水野さん
 自身も自分でそれができるということを分
 かっている」
香穂「…」
秋川「しかし、簡単に折り合いを付けてしま
 うことにも、やっぱり、罪悪感がある…」
香穂「…」
秋川「そういうことだと思います…」

涙をこぼす香穂。

秋川「まぁ、あくまで私の推察ですけど」
香穂「…」
秋川「今日は、これだけでいいと思います。
 (腕時計を見て)まだちょっとしか経って
 ないけど…」

思わず笑ってしまう香穂。
 × × ×
水を飲んでいる香穂。鼻をグシュッとすすり上げる。

○喫茶店の前

喫茶店から出てくる2人。

香穂「あの…」
秋川「はい」
香穂「この近くに、居酒屋があるんですけど
 …、その、宍戸さんに良く連れて行っても
 らったお店なんです」
秋川「へー」
香穂「久しぶりに行ってみようかなって。ど
 うです?」
秋川「あぁ。いいですね。(腕時計を見て)
 じゃ、軽く…」

○歩道

歩道を並んで歩く秋川と香穂の背中。

○『後ろ亭』の前

暖簾をくぐる香穂と秋川。

○『後ろ亭』の店内

カウンターに座ってビールを飲んでいる2人。

秋川「…僕は、あれなんですよ…」

秋川の顔を見る香穂。

秋川「…自分の両親の記憶がないんですよ」

驚く香穂。

秋川「物心ついたって言うんですか? そう
 いう年齢の頃には、もう、両親はいなかっ
 たんです。…ずっと祖母が育ててくれたん
 です。運動会なんかは、叔父さんが代わり
 になってくれました。あの、一緒に走った
 りするやつ」
香穂「…」
秋川「従兄弟と、僕のときと、2回走ってま
 したよ、叔父さんは」

店員がカウンター越しに料理の皿を差し出してくる。受け取る秋川。

秋川「すいませんね、こんな話して…」

首を振る香穂。

秋川「こんな話をして、だから水野さんの悩
 みなんてたいしたことないんだとか、そう
 いうことじゃないんですよ。…誤解される
 と、アレなので…」
香穂「いいえ…」
秋川「立場を越えちゃってホントはマズいん
 ですけど…、実は、羨ましいなんて言うと
 また誤解されそうですけど、そういう気持
 ちがあるんです。それが言いたくて。…水
 野さんの、その、家族っていうものに対す
 る気持ちっていうのは…」
香穂「…」
秋川「スイマセンね…、あの、忘れてくれて
 いいですから…。ホントに。いけませんね、
 こんな話は…。ダメですね…」

笑みを浮かべる香穂。

香穂「…秋川さんは、どうして今のお仕事に就こうと思ったんですか?」
秋川「え? 僕ですか?」

頷く香穂。

秋川「カウンセラーに?」
香穂「(頷いて)私は、父の影響なんです。
 母親も警察官だったので」
秋川「なるほど。…うーん、実は、そんなに
 はっきりとした理由ってないんですよね。
 …大学もなんとなく選んだし、学部もそう
 なんです。なんとなく選んだ専攻が心理学
 で、今の職場も、なんとなく求人が目に入
 ったから」
香穂「それで今の病院に?」

頷く秋川。

香穂「へぇー」
秋川「すいませんね、なんとなくなんて。水
 野さんみたいな、確固とした理由じゃなく
 って…」
香穂「(笑って)いえいえ、そんな」
秋川「来週も来て下さいよ。病院に。あんな
 いい加減なヤツと話すのは嫌だなんて思わ
 ないで」

フフッと笑う香穂。

○交差点

『後ろ亭』がある交差点。店から2人が出てくる。

○歩道

香穂の前にタクシーが停まる。

○タクシーの車内

タクシーに乗り込む香穂と、それを歩道で見送る秋川。

秋川「じゃ、また来週」
香穂「はい、じゃあ」

ドアが閉まる。窓の外で、左手を挙げる秋川。会釈する香穂。走り出すタクシー。
微笑を浮かべる香穂。
思い出したように、携帯を出す香穂。電話を掛ける。

留守番電話の声「留守番電話サービスです。
 お預かりしているメッセージは…」

左折していく。窓の外に目をやる香穂。チラッと、タクシーに乗った場所で、何者かが秋川に襲いかかっているのが見える。

香穂「止めて!」

急ブレーキで停まるタクシー。ドアを開けて外に躍り出る香穂。路肩から歩道へ、全力疾走で駆けていく。歩道を右に曲がる。山本に襲われている秋川の姿が見える。走る香穂。

○歩道

血のついたナイフを右手に身構えている山本。その目の前で、秋川が腹を抱えてヨロヨロとしている。
血走っている山本の両目。意識を失って倒れる秋川。

香穂の声「秋川さん!」

声がした方に振り向く山本。香穂が駆けてくる。
意識を失っている秋川。
その秋川が、目をバッと見開く。

秋川「ヤマモトぉぉ!」

絞り出すように声を発しながら、立ち上がる秋川。

山本「テメェ…」

歩道を駆けてきた香穂が足を止める。拳銃を抜き、構える。

香穂「武器を捨てなさい!」
秋川「ぅぅおぉぉぉ!」

ナイフを構える山本に飛びかかる秋川。

香穂「秋川さん! 離れて!」

もみ合う秋川と山本。
秋川の腕を振りほどく山本。背中を見せ、逃げ去っていく。秋川はガクッと倒れる。

香穂「待ちなさい!」

撃てない香穂。
銃を下ろし、秋川に駆け寄る。
左腕も刺されている。アスファルトが血だらけになっている。
秋川の身体を揺する香穂。

香穂「秋川さん!」

意識を失っている秋川。
 × × ×
救急隊員たちが救急車に秋川を乗せている。制服姿の警官がすぐ側に立っている。

香穂「(救急隊員に)出来れば甲陽病院に行
 って下さい。そこで働いているんです、こ
 の人」
救急隊員「分かりました。近いですしね」
香穂「お願いします」

同乗しようとしている制服警官。

香穂「(警官に)じゃ、お願いしますね」
警官「(敬礼して)ハッ」

心配そうに、秋川を見送る香穂。
 × × ×
現場検証をしている脇で、島村に事情を説明している香穂。

島村「顔は見たんだろ?」
香穂「えぇ」
島村「だけど、心当たりはないんだな?」

頷く香穂。

島村「…お前に対する怨恨じゃないってこと
 だな」

頷く香穂。

島村「…じゃあ、その、お前と一緒にいたカ
 ウンセラーの先生に対する個人的な動機が
 あるってことか?」
香穂「(遮るように)そういう人には思えま
 せん。誰かに恨みをかうとか、そういうの
 は…」
島村「お前の主観だろ?」
香穂「…」
島村「…だけどお前、物盗りの犯行じゃねー
 だろ。状況からして」
香穂「そうですけど…」
島村「…」
香穂「秋川さんに話を訊いてみます。私」
島村「(心配そうに)俺が行ってもいいんだ
 ぞ? 別にお前が無理しなくてもいいんだ」
香穂「(力なく笑って)いえ、大丈夫です。
 行かせて下さい」
島村「(頷いて)無理だったら、とりあえず
 今日は帰れ。明日朝イチで俺が行くから」
香穂「…」

○手術室の前

廊下を、香穂が歩いてくる。救急車に同乗した警官が、手術室の前に立っている。香穂に敬礼する警官。

香穂「…どうなの?」
警官「はい。命に別条はないそうです。手術
 も傷を縫うだけで、三十分くらいで終わる とのことです」
香穂「そう。ありがとう」
警官「いえ」

○ロビー

真っ暗なロビー。ズラッと並んでいる長椅子の一つに香穂が座っている。
自販機で買ったカップのコーヒーを飲んでいる香穂。
腕時計を見て、立ち上がる香穂。

○手術室の前

ドアが開き、秋川が載せられたベッドが看護師に押されて出てくる。待ち構えていた香穂。

香穂「秋川さん」

目を開き、香穂を見る秋川。血の気がなく青ざめている秋川の表情。香穂の顔を見て、微かに笑みを浮かべる。

香穂「…刺した相手、誰ですか?」

弱々しく首を振る秋川。

香穂「…分からないんですか?」

頷く秋川。足を止める香穂。
運ばれていく秋川。困惑した顔で見送る香穂。(F/O)

○(F/I)ガレージ・天蓋の下

島村や他の刑事、鑑識官が何人もいる。事件現場。床にはビニールシートが広げられ、その下にある人の身体の分が膨らんでいる。
天蓋の梁のパイプから、端の切れたロープがぶら下がっている。ロープの下には小さな脚立が倒れている。

○ガレージの入り口

ガレージに入ってくる香穂。立っている制服警官に警察手帳を見せる。敬礼する警官。

○ガレージ・天蓋の下

ビニールシートの端の所をめくる香穂。
死体は、山本。首には輪になったロープが。シートを戻す香穂。立ち上がる。

島村「こいつか?」

頷く香穂。

島村「所持品から、死体の名前は山本弘造、 
 五十四歳。死因は頸部圧迫。状況から考え
 て自殺だろう、恐らく」
香穂「…」
島村「まだ断定はできないが、ま、間違いな
 いだろ」
香穂「…」
島村「お前は、ガイシャの先生に知らせてや
 れ。報告やらなんやらは俺がやるから」
香穂「分かりました…」

○車の中

ハンドルを握っている香穂。

○甲陽病院のエントランス

香穂が入ってくる。
院内のフロア案内を見上げる香穂。

○病院の廊下

外科病棟の廊下。香穂が歩いてくる。

○病室

ベッドが並んでいる大部屋。そのうちの一つに秋川が寝ている。
病室のドアが開いて、香穂が入ってくる。

○同・秋川のベッド

カーテンで仕切られた空間。
丸椅子に座って、秋川と小声で話している香穂。

香穂「傷はどうですか?」
秋川「…いいみたいですよ。順調みたいです」
香穂「そうですか。良かった…。(間)それ
 で…、犯人なんですけど…」
秋川「えぇ」
香穂「見つかりました」
秋川「そうですか…」
香穂「…自殺してたんです」
秋川「え?」
香穂「今朝見つかりました…。私が顔を確認
 したので、間違いなく本人です」
秋川「…」

頭痛に襲われて頭におさえる秋川。
フッと、目を閉じ、意識を失ってしまう。
驚く香穂。

香穂「(身体を揺すって)…秋川さん? 秋
 川さん?」

パッと目を開ける秋川。

香穂「…大丈夫ですか?」
秋川「…」
香穂「びっくりさせないで下さいよ…」
秋川「死んだのか?」

秋川の口調が変わっている。怪訝そうな顔になる香穂。

秋川「死んだのか? 山本は」
香穂「…」
秋川「自殺したんだな?」
香穂「あなたは…」

秋川の顔をじっと見る香穂。

秋川「(ニヤリと笑って)分かるか?」

無意識に、ベッドにつけられたネームプレートに目をやる香穂。「秋川俊也」と書いてある。

香穂「…誰なの?」
秋川「名前はない」
香穂「…」
秋川「名前は持ってないんだ」
香穂「どういうことなの?」
秋川「分かるだろ? …多重人格ってヤツだ。
  正確には、解離性同一性障害。俺はその、秋
 川俊也の別人格の方さ」
香穂「…」
秋川「山本は死んだのか? 間違いないんだな
 ?」
香穂「えぇ…」
秋川「(感慨深げに)そうか…」
香穂「…知ってるのね、あの男のことを」

頷く秋川。

香穂「やっぱり…」
秋川「山本弘造」

頷く香穂。

香穂「俺の両親を殺したヤツだ…」

驚く香穂。じっと香穂の顔を見る秋川。

香穂「いつのこと?」
秋川「二十五…、もっと前だな…、二十七か
 八年前か」
香穂「…未解決の事件ってこと?」
秋川「そうだ。…そして、俺が俺と俊也に別
 れたのがその時だ。分かるか?」
香穂「…見たのね。その時を」
秋川「(頷いて)俺はその時に生まれたんだ
 よ」
香穂「…あなたのことは、なんて呼べばいい
 の? 名前はないって…」
秋川「…誰かに呼ばれたことがないからな。
 名前を付けられたこともない」
香穂「まさか…」
秋川「何でもいい。好きなように呼べ」
香穂「…」

間。香穂の顔を見ている秋川。

香穂「…山本のこと、話してくれるかしら?」

頷く秋川。

秋川「…ただし、俺からも頼みがある」
香穂「?」

○エレベーターの中

車いすの秋川と、香穂が乗っている。

香穂「あなたと、もう1人の、俊也さんの記
 憶は、どうなってるの? あなたは俊也さ
 んのときの記憶はあるの?」
秋川「ちょっとだけな。あいつでいる時の記
  憶は、途切れ途切れだけど、俺はある」

頷く香穂。

秋川「あいつには、俺の記憶はない」

エレベーターが止まり、ドアが開く。

○ナースステーションの前

心療内科の受付の前。秋川の車いすを押していく香穂。
廊下を歩いていく。

○カウンセリングルームの前

部屋の中に入っていく2人。

○カウンセリングルームの中

デスクの前に座っている秋川。香穂は、車椅子を窓際に押しやっている。
ブリーフケースの中からICレコーダーを出す秋川。
ソファに浅く腰掛ける香穂。ジャケットのボタンを外すが、脱がない。
ICレコーダーを差し出す秋川。一瞬戸惑うが、受け取る香穂。

香穂「…これが頼み?」
秋川「…俊也のことだ」

怪訝そうな表情の香穂。

秋川「…あいつは、自分の両親のことを話し
 たか?」
香穂「…覚えてないって言ってたわ。物心つ
 いた頃にはもう居なかったんだって…」
秋川「…」
香穂「…どういうこと?」
秋川「俺は、あるんだ。…俺は俺の両親のこ
 とをはっきり覚えてる。俺の両親ってこと
 は、俊也の両親ってことだ」

頷く香穂。

秋川「…俺の両親は、山本に殺されたんだ。
 山本が両親を殺すのを、俺は見てたんだ。
 …俊也はその記憶に耐えられなかった」
香穂「それであなたが…」
秋川「(頷いて)俺が生まれた。…俺が、家
 族を殺された記憶を引き受け、俊也は俺と
 いう別の人格を作ることで、あの記憶を忘
 れることが出来た。七歳のときだ」
香穂「…」
秋川「解離性同一性障害というのは、そうい
 う風に発症する病気なんだ。ある強烈な体
 験のネガティブな記憶を、別の人格が引き
 受けることで本人は克服する。…人間の精
 神には防衛本能があって、それが機能する
 特殊な症例だ。…俊也は、記憶を失うこと
 でトラウマを乗り越えた。本当は失ったん
 じゃなく、俺が代わりに引き受けたんだ」

頷く香穂。

秋川「…」
香穂「…不満なの? 自分に記憶を押し付け
 た俊也さんに…」
秋川「違う。…俺は俊也を護ってきたんだ」

ハッとする香穂。

秋川「勘違いするな…。俺は俊也を護るため
 に生まれたんだ。…俺はあの記憶を背負っ
 て生きてきた。俺は、記憶の中の山本の顔
 とずっと向き合ってきた。俺はそのために
 生きてきたんだからな。…俺はあの時のこ
 とを、今でも鮮明に覚えている。自分の両
 親が目の前で刺し殺される瞬間をな」
香穂「…」
秋川「…山本は死んだ。そうだな?」

頷く香穂。

秋川「俊也は山本の顔を忘れることが出来た
 が、一緒に親の顔も忘れてる。…俺は2人
 の愛を浴びながら育った。…親父は大きく
 て優しかった。…お袋は、…楽しそうに笑
 う人だった。…俺は幸せな子どもだった。
 …山本のせいで、俊也はその記憶も失った
 んだ。悪い記憶も幸せだった記憶も、一緒
 に失ったんだ」
香穂「…」
秋川「…もう一度同じことを話す。それを録
 音して欲しいんだ、それで」

掌中のレコーダーを見る香穂。

香穂「…それを、聴かせるの?」
秋川「そうだ」
香穂「…訊いていい? …当時の話じゃなく
 って、今の話」

頷く秋川。

香穂「…山本は、どうしてあそこであなたを
 襲ったの? 私がタクシーに乗った場所で」
秋川「俺のことをツケてたんだろう…」
香穂「分からない。全部話して」
秋川「どうして俊也がこの町で暮らしている
 か分かるか?」
香穂「どういうこと?」
秋川「俺がこの町に連れて来たんだよ、俊也
 を」
香穂「それは…、この町に山本が居たから?」
秋川「そうだ。それはかなり前から分かって
 た」
香穂「あなた、自分で調べたのね。山本の足
 取りを」
秋川「そうだ。1人でな。コツコツ調べたん
 だ。俺は山本がこの町に住んでいることを
 突き止めた。だからこの病院にやってきた
 んだ。俊也がこの病院で働いているのは、
 俺がそうさせたからだ。この町で生活して
 たら、いつかどっかで偶然にでも会うんじ
 ゃないかと思ってたんだ、ずっとな」
香穂「それで…」
秋川「(頷いて)あぁ、会ったんだ。偶然。
 コンビニの前ですれ違った」
香穂「そんな」
秋川「…山本とすれ違ったんだよ。…もちろ
 ん俊也は気付かなかったが、俺は気付いた。
 俺は俊也でいる間も、うっすら意識がある
 んだ。全部じゃないが、俺の意識は俊也と
 重なってる。…その時の山本は、警備員の
 格好をしていた。工事現場にいる格好だ。
 …俺は近くの工事現場を探したんだ。そこ
 であの男を見つけた」
香穂「だけど山本もあなたに気づいたのね?」
秋川「そうだったんだろうな。…まさか向こ
 うから襲ってくるなんて思わなかった。…
 ひょっとしたら、山本は俺の顔を見て、殺
 した親父のことを思い出したのかもしれな
 い。俺は親父によく似てるんだよ」
香穂「きっとそうだわ。…ずっと後をツケて
 いたのかもしれない。とにかく、あの男は、
 機会を窺っていた。そして、あなたを殺そ
 うとして…」
秋川「…」
香穂「…あなたは、なぜ山本を追いかけたの?
 復讐したかったから?」
秋川「…」
香穂「そうなのね?」
秋川「…復讐なんかじゃない」
香穂「じゃあなぜ?」
秋川「あいつに理由を訊きたかったんだ。理
 由が知りたかった。…俺の家族がなぜ殺さ
 れたのか。…俺は悩んだ。…なんで俺の家
 族が殺されたのか。…なんで俺も一緒に殺
 さなかったのか。…それを知りたいってい
 うのは、自然な感情だろ?」

頷く香穂。

秋川「会って、聞き出したかったんだよ」
香穂「…」
秋川「だけど、もういい。あいつはもういな
 いし、俊也もすべてを思い出す…。俺は、
 復讐するためにあいつを追いかけていたん
 じゃないじゃない。克服するためだ。…乗
 り越えるためだ」
香穂「…」
秋川「…どうして俊也がこの仕事を選んだの
 か、分かるか?」
香穂「…」
秋川「この町に連れて来ただけじゃない。俺
 がこの仕事を選ばせたんだ。いつか、トラ
 ウマと、この病気を、自分自身の手で克服
 することが出来るように…。そのために、
 俺は、ずっと俊也を導いてきたんだ。あの
 記憶から俊也を護りながら」
香穂「…」
秋川「俊也は今日、あの時の記憶を乗り越え
 る…」

○小さな庭 夜

戸建の家の小さな庭。小さな男の子が、サッカーのリフティングをしている。

○リビング

女性(秋川の母親)が、恐怖で震えている。目の前には、血だらけのナイフを持った、まだ若い山本が立っている。

○玄関

男性が倒れている。血だらけの床。男性は、秋川の父親。

○リビング

刺し殺した女性の身体を見下ろしている山本。
廊下へ出ていく山本。
カーテンの隙間から、男の子の眼が覗いている。

○小さな庭

目を見開いて、恐怖でガタガタ震えている男の子。

○カウンセリングルーム

秋川の顔を見ている香穂。

香穂「いいの?」

頷く秋川。 ICレコーダーのスイッチを切る香穂。

香穂「…山本っていうのは、知ってる男だっ
 たのね?」
秋川「(頷いて)会社の同僚だよ、親父の。
 俺もよく知ってた。優しいおじさんって感
 じでな。あの人がくると晩飯がご馳走にな
 るって喜んだことを覚えてる…」
香穂「そうだったの…」
秋川「…」
香穂「これで、いいのね?」

頷く秋川。
間。重々しい空気。

香穂「…聴かせるわ」
秋川「頼む」
香穂「…それだけ? 今の話を聴くだけで、
 俊也さんは記憶を取り戻すの?」
秋川「(頷いて)俊也はカウンセラーだ。あ
 とは自分でやるさ」
香穂「自分で自分を治療するってこと?」
秋川「カウンセラーは治療は出来ない。カウ
 ンセラーは医者じゃないからな」
香穂「…そうね」
秋川「カウンセラーは、相手の精神を解きほ
 ぐし、進みたいという方向に推し出すだけ
 だ。やってることは、そんなに難しいこと
 じゃない。俊也は、俊也が望む方向に進む
 だけだ」
香穂「…」

目を閉じようとする秋川。

香穂「待って」

目を開ける秋川。

香穂「待って」

香穂を見る秋川。泣き出しそうな香穂。

香穂「あなたは…、あなたはどうなるの…?
 俊也さんが記憶を取り戻したら、あなたは
 どうなるの?」
秋川「俺は消える。簡単なことだ。俺は俊也
 のトラウマを引き受けるために生まれた存
 在だ。俊也が克服すれば、トラウマを乗り
 越えれば、俺はいらなくなる」
香穂「…そんな」
秋川「俺たちの記憶は一緒になる。2つの人
 格は統合される」
香穂「…」
秋川「一つになって、俺が消えるのは自然な
 話だろう?」
香穂「…」

目を閉じかける秋川。

香穂「待って」
秋川「…」
香穂「だけど…。あなたは…、あなたはそれ
 でいいの?」
秋川「いいんだよ。それで」
香穂「…」

涙をこぼす香穂。

秋川「もういいんだよ。俺は」
香穂「…」
秋川「…ずっと1人で背負ってきたんだ」
香穂「…」
秋川「…俺は、記憶の中の山本と、ずっと1
 人で闘ってきたんだ」
香穂「…」
秋川「もういいだろ? もう全部終わった。
 …もう闘う必要はないんだ。それでいいん
 だよ…」
香穂「でも…」
秋川「俺は消えてなくなる。それで俊也が記
 憶を乗り越える。俺は最後まで俊也を護り
 きった。それでいいんだ」

香穂の頬を、涙がつたって落ちていく。
目を閉じようとする秋川。

香穂「(涙声で)待って…」
秋川「…」
香穂「…名前を付けてあげる。名前もないま
 ま消えていっちゃうなんて…、ダメよ、そ
 んなの…。悲しすぎるから」
秋川「…」
香穂「勇雄」
秋川「イサオ?」
香穂「(頷いて)秋川、勇雄」
秋川「…」
香穂「私を庇って死んでしまった人の名前よ
 …。私を庇おうとして、撃たれて死んでし
 まった…、ある、とても優秀な警察官の名
 前。…勇気の勇に、英雄の雄」
秋川「(笑って)ユウユウか?」
香穂「(泣き笑い)そう…。ユウユウでイサ
 オ。秋川勇雄」
秋川「いい名前だ。貰っとくよ…」

頷く香穂。

秋川「じゃ、頼むぞ」

頷く香穂。 目を閉じる秋川。スーッと大きく息を吸って、吐く。
少しして、ガクッとうな垂れる。
掌で涙を拭く香穂。
ハッとする秋川。目を開く。

秋川「…」

無理やり笑顔を作る香穂。

香穂「秋川さん。俊也さん…」

驚いたように、香穂の顔を見る秋川。 腹の傷を手で押さえる秋川。

秋川「あ…、あ、そうか…、あの男が見つか
 ったって…。そうでしたよね?」

頷く香穂。

秋川「捕まったんでしたっけ? あ、いや、
 自殺…?」

頷く香穂。

秋川「そうですか…。わざわざ知らせに来て
 くれたんですか?」
香穂「俊也さん」
秋川「…はい?」
香穂「お話があるんです」
秋川「?」

○甲陽病院・廊下

夜中。誰もいない、暗い廊下。

○カウンセリングルーム

薄暗い部屋の中。
ソファに座っている香穂。

香穂の声(レコーダーから)「…いいの?」

ICレコーダーを止める香穂。両手で、頭を抱える秋川。
腰を浮かせる香穂。
小さく呻き声を上げる秋川。苦しそうな表情。頭を抱えている。
秋川に近寄る香穂。手を差しのべようとするが、躊躇して、手を引く。

香穂「大丈夫?」
秋川「(頷いて)…大丈夫。うん…」
香穂「…」
秋川「そうだ…。そうだ…、僕は覚えてる。
 あれは…」

心配そうに見守る香穂。

秋川「あれは…、お母さん…。目の前で…」

ブワッと涙を溢れさせる秋川。

秋川「僕は…、僕は…、ただ見てるだけだっ
 た…。お母さんを助けることが出来なかっ
 た…。窓の外から、見てるだけ…。怖くて、
 怖くて、震えてて…。だから、だから…」

秋川の肩に手を置く香穂。

香穂「あなたは悪くない! あなたは何も悪
 くないの。自分を責めないで! 誰もあな
 たを責めない。あなたは悪くない。あの男
 ももう居ないわ。だからもう大丈夫! も
 う逃げなくていいのよ! 俊也さん!」

目を開く秋川。

香穂「俊也さん!」
秋川「…」

秋川の目を見つめる香穂。

秋川「大丈夫だ…。ありがとう…」
香穂「…」
秋川「思い出した…。すべてを…。そうだ…。
 僕は、逃げたんだ。あの時。忘れてしまう
 ことで…。だけど今は…。もう大丈夫だ…」
香穂「(泣きながら)良かった…」

秋川も泣いている。

秋川「すべてを受け入れる…。この記憶も、
 思い出も、全部…」

頷く香穂。

秋川「ありがとう…」
香穂「(首を振って)ううん。私はなんにも
 やってないから…」

泣いている香穂。
ソファの前のテーブルに置いてある、ICレコーダー。小さな赤いランプが点灯している。



scenario index